みなさんだいたいおそろいだと思います。
あと1分少々ありますけど・・・今日の講演会をはじめたいと思います。
私は今村くらしの相談室を去年から開設しておりまして、今日初めて外でこのような講習会をさせていただくことができました。今日は寒い中ありがとうございました。
チラシに張ってあるように今日は在宅で自分のお父さんお母さんどちらも看取られたご家族からの立場の話をしていただこうと思います。
本当に貴重なお話で本当はもっともっとたくさんの人を集めて大きな会場で・・・と思うんですけれど、今日は主催者である私たちも聴きたいという意図が大きくありますので小じんまりしたこの会場にさせていただきました。
今日のお話はみなさん何かきっと心に残って帰られることうけあいですので楽しみに聴いていただけたらと思います。
で、講師のご紹介です。
服部誠さんとおっしゃいます。
レジメの中にプロフィールが乗っていると思いますが
あと、ご自身で紹介いただこうと思いますが、
今は二俣瀬にお住まいなんですよね?
いえ・・・まぁ・・・あの・・・(笑)
あと細かいことは話されると思いますが・・・(笑)
いろいろなことをされておられます。
また、詳しく聞かれたらいいと思います。
一応、今13時半ですので14時過ぎまでお話をいただいて途中で休憩を入れさせていただきたいと思います。この辺は服部さんにご判断いただいて、もらいますのでゆっくりお聞きください。一応15時までということで、そのあと質疑応答を考えていますのでみなさんどしどしお聞きになりたいことをご質問されたらいいと思います。
では・・・よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
服部誠と申します。
今日は、みなさんの貴重な時間をいただきましてお話させていただきます。
ちょっと(健康の関係で)座ってお話します。スミマセン
私の経験したことがですね、こんな多くの方に聴いていただくというので、正直ですね、面喰っています。あがり症なので、「しどろもどろ」になるところが多々あると思いますがお付き合いください。
まず、今日お話しさせていただくことはですね、お手元のレジメにありますように、【1】から【5】大きくは5つのことです。
【1】は具体的にどんな内容をお話しするのかということと、
【2】はご参加いただいているみなさんにお伝えしたいことです。
【3】は、レジメに黄色いマスクを描けけているところが本題の経験したことをお話しするものです。
【4】は今回「今村くらしの相談室」の主催でこういう形の場に来た謂われ(理由)みたいなことを少し触れさせていただいて、
【5】は、今後の活動私自身の活動をどういうふうにしようとしているのかについて少しお話させていただきたいと思います。
まず、一番最初にですね、
ほとんどの方は「初めて!」という方が多いと思いますので
「私は一体どんな人間か?」
ということを少しお話します。
レジメのプロフィールを見ていただきまして・・・
生まれは島根県(島根県邇摩郡仁摩町大字仁万)です。
島根県は3ヶ月ぐらい居て
育ちは、ずっと宇部市です。
学生時代は松山の方に居りまして、あとはずっと20年間転勤族で名古屋、広島、東京、大阪を転々としておりました。
レジメに書いていますが、
2008年に要介護5で、脳梗塞で身障者手帳も交付されている父の看取りと・・・
父を在宅で看取っています。
それから4年後の2012年に、パーキンソン病の母を在宅で看取っています。
そして、私自身は・・・
1956年生まれ、今58歳です。
20年間の転勤族生活からUターンしました。
Uターンは種々の事情がありますが、
事情のひとつには
父が脳梗塞の症状を呈したというのがあって戻ってきました。
それから特別養護老人ホームに5年間勤務していました。
そのあと私自身が、
ちょっとシステムダウンしまして
脳梗塞を起こして翌年心筋梗塞を起こして
心停止しまして電気ショック2回で蘇生する経験をしました。
その後療養生活をしながら
2010年から活動がある程度できるということで
個人の経験資源をテーマにしたインターネット関連事業をしています。
昨年の6月から宇部市高齢者福祉計画審議会委員をしながら、
12月から社会福祉法人の事務を中心にしたコンサルをしています。
2012年に母が亡くなった後に・・・
先程、紹介いただいた時に「二俣瀬」というお話があったのですが、
転勤族で帰ってきたときに二俣瀬に居を構えたのですが実家は開にありまして、
2012年父も母も亡くなったということで、空き家になったわけです。
俗にいう「空き家の息子」になったわけです。
そこで、ホームページを作りましてそこには自分のできることを全部羅列して多くの方と「価値の交換」みたいなことを掲載しています。
今までの累計訪問いただいた方は7万人ぐらいおられます。
その中で、人気のあったページを独立させて「ワクワクキット」ということで「動画の再生回数も1万回以上」ご覧いただいています。
具体的に今日お話しする内容は、
「どんな内容か?」ということなんですけれども、
今日ここにお越しの方で訪問看護の方がおられます。
白鳥という大村さんという方がおられるんですが
その方が母の・・・
2012年看取りをした際に・・・
一旦在宅から、止む無く入院して、
そして最期。
あと1ヶ月という状態の時に在宅で最期を看取るという、
本人の意志を尊重してですね。
その時の模様を2年前、
2013年の10月に発表されまして、事例のひとつとして・・・
シルバーセンターで、ホームページ見ていただくと
宇部市のホームページに
宇部市主催の医療フォーラ「あなたは人生の最期をどこで迎えますか?」
と叩いていただくと出てきます。
その時の事例の内容を当事者の家族がお話させていただく、と。
これが今日の内容です。
2点めに・・・
みなさんお話をする前にちょっとお聞きしたいことがありまして・・・
ひとつお聞きしたいことは
「全く看護や介護の経験がない」
「あるいは看護や介護の話を聴くのも初めてだ!」
という方は何人ぐらいおられますかね。
すみません、手を上げていただけませんでしょうか。
誰もおられない?
みんな経験者?
あっ、お2人・・・あっ・・・3人の方。
それから
「すでに看護の仕事をしている」方は
何人ぐらいおられますかね。
たくさんおられますね。10人ぐらいかな。
それから
「介護の仕事をしています」という方は
何人ぐらいおられますかね。
お1人・・・?
ということは、
他の方は一般の方(看護や介護の経験がない)方
ということですかね。
わかりました。
ありがとうございました。
あのー 一般の方にとってはですね、
今日お話しするのは
よくテレビとかですね、
介護とかよく暗いイメージがあるのですけれども・・・
そんなことはなくて、結構いろいろと楽しみながらとか、
「楽しみながら」というのは良い表現かどうかわからないのですけれども、
父、母と和気あいあいとしながらですね、
やってきました。
それは、いろんな選択肢・・・たくさん選択肢があります。
大きく分けると看護、介護になるのですけれども、
選択肢はたくさんありますので、
その選択肢をたくさん選べる状態に身を置く・・・
全部知る必要はないと思いますけれど、
「本棚にどんな本が並んでいるか?がわかる状態」
を今日お話しする中で聴いていただければ・・・と思います。
看護に従事されている方にとっては
私たち本人や家族が
「どういう所に安心を求めたか?」
ということを聴いていただけたらと思います。
それと・・・
介護職に従事している方に対しては
今の2点もありますけれど
本人家族が
「どういう所が助かったと思っていたのか?」
ということを聴いていただけたらと思います。
今からお話しますけれど
いろんなサービスを駆使しまくりました。
その辺をお話して・・・
さらに・・・
ここ、みなさん宇部市民の方ですかね?
宇部市民の方は
「とってもラッキー」だと思っています。
あらゆる意味で、介護保険料は少し高いかもしれませんが
山口県内ではおそらくナンバーワンだと思います。
いろんな制度上の問題や、課題の上で・・・
だからそういう点では
選択肢がたくさんある地域に住んでおられる点が超ラッキーだなと。
でも、その選択肢すら、一体何があるのかもわからないままに
右往左往されている方もたくさんおられるのではないかなぁと
ちょっとだけ推測しています。
1点目のですね、
「食事を作りたくない母との話」というところを
少しお話します。
2006年当時ですね、一番最初に、電話がかかって来まして、
二俣瀬の方に電話がかかって来まして
なにか・・・雑談で
私はすでに療養生活をしていたんですけど
「最近、食事を作るのが嫌になってきたの・・・」と。
と、いうことがありまして、
まだ、父も存命でしたので・・・
「食事を作らずに暮らす」というのは
どうすればいいのかということを考えたのですけれども
最初は、家内が手伝いに行って
そこで食事を作ってやっていたんですけれども
そのうち「頻繁に行くというのも難しい?」なということになって
何か、
「自動で食事が歩いてくる仕組みがないのだろうか?」
と、いう風に考えて・・・
今日お話しする話は全部そうなのです。
在宅・・・というのは・・・
「自動で、お医者さんが歩いて来ないかな?」
とか。
「自動で、看護師さんが歩いて来ないかな?」
とか。
「自動で、介護師さんが歩いて来ないかな?」
とか。
そういうような発想です、基本は。
横着な発想ですけど。
そして、
その時一番最初に思ったのは・・・。
「配食サービスがある!」ということで、
配食サービスを考えたのですが、
当時の規定では、
何故かわからんのですけれど、
基準がかなり厳しくなっていまして、
「あなたの家族の人は無理よ」
ということになってしまって・・・
その無理の基準がすごい基準で、
「お二人とも認知症だったら配食サービスの基準にかないます」と。
「でも、そんな人はまず、在宅に居ないだろうな?」
と思うような話が結構ありました。
そこで、
しかたなく一番最初に「取ってみようかな?」と思ったのが、
シルバーセンターの所でやっている配食サービスでした。
今はかなり良い食事がでているみたいなんですけれど、
当時はイマイチの食事で、
お弁当の蓋を開けた瞬間に、
父と母が「もういらないよ・・・」
という感じの食事だったんですよね。
隣の家のご夫婦はすでに配食サービスを
受けられていたんですけれど・・・
そこは、もうキチンとした食事で、
味噌汁から何から何までセットされていて
「いいなぁ」と思っていました。
で、
ああいう形が「何とかできないか?」と考えて・・・
何とか自動で出来る仕組みがないものか?
と考えて・・・
模索した結果ですね、
最近はよく宣伝はしていますけれど、
セブンイレブンのセブンミールを使ってみたんです。
で、
セブンミールという言葉、ご存知の方?
何人ぐらいおられます?(会場のみなさんに問いかけ)
(会場で手が上がる)
あー何人もおられますねー
あれ、実は2000年ぐらいからはじまりまして
2006年当時に、メニュー冊子がスタートしたみたいで、
今、結構知られるようになっていますよね
あるセブンイレブンの方に聴いたのですが
都会では、共働きのご夫婦とかに人気で、
奥さまが先に帰られて玄関の前に置いてある
セブンミールの食材を温めて出すだけで、
ご主人に喜ばれるそうです。
そのくらい都会では一般的になっているらしいのですが
ちょっと宇部ではどのようになっているのかわからないのですが
当時はまだ、はじまったばかりで、
そのお店の店長さんでさえよく知らないという状態でした(笑)
単品を頼むのも
たしか、1000円以上だったら。
今、ちょっとわかりませんけれども
送料はあの、1000円以上じゃないと
運べないわけです
でも、1回1000円以上だと、
ちょっと量があるのですけれども
二人ですから・・・
1000円以上頼もうと、
セブンイレブンの冊子があるのですけれども
そこに母に○印を付けてもらいまして
私も同じ冊子を取りつけて
そして、電話でその○の印を聴いて
それを1ヶ月のメニュー表にして
組んでいって
1000円以上になるように
組んでいって、あの、やりました。
当時セブンイレブンの店長さんに、
FAXで、いや、FAXがなかったんで
メールでお送りしてそれでもって
セブンイレブンから頼んでもらって
運んでもらっていました。
これはあのう、今から考えると
すごく便利でした。
何が便利かというとですね
もちろん持ってくるおかずもあっためるだけで
便利なんですけれども
セブンイレブンの中の欲しいものも
適当に持ってきてくれるんです。
その次に食事が落ち着いたとなると
父の方がだんだんひどくなってきてですね
ちょうど2006年の、
終り頃だったと思うんですけれども
ある日夫婦共々、ベッドで寝ていたのですが
脳梗塞で、若い時に肉体労働してた関係で
大工さんなんてすけれとも、
腰が悪くなっていたんですけれど、
腰のヘルニアの手術とかしてて、
だんだん立てなくなって来ていたと
どっかで介護認定をしないといけないと考えていたんですけれども
戦後生まれの私には理解できないのですが
戦前生まれの父は、
「お国の世話にならん」とよく言うんですよ
お国の世話にならんといっても
健康保険料払って、ですね
お医者に行って薬をもらったりするんですけれど
十分お国の世話になっているんですけれど
認定は絶対に受けない
しようがないんで
タイミング待つしかないなということで
ある日、ベッドから落ちたんですね。18
宇部興産 中央病院
朝、10時ぐらいに、母から電話受けて行って
11時ぐらいには、病院に行ってそこに居るんですけれども、
処置してもらうのに夕方になったんですよね。
それまで、ずっと待っていたわけです。
母と家内と私の3人で。
それで、診よるんじゃろうかね
って様子を見に行ったわけです。
そうすると先生は一生懸命診ておられていた。
ちょうど、父の順番が終わったところだった。
そしたら、父が面白いことを言い出して、
「お母さんが入院したがっている」
「???」
「入院したがっているのは、自分じゃろう」
母は、相変わらず、待合室で待っているわけで。
そのくらい病院が嫌いだというわけで
「自分が入院するんじゃない」
「母が入院するんだ」と。
そのくらい病院が嫌いでした。
宇部興産 中央病院
その前に、
私がちょうどUターンした時でも、
水をまいてたんですけれど、
脳梗塞になって、
ホースが下に落ちたんです。
そしたら、
それを「ホースが悪い」といって、
脳梗塞で握力がなくなって、
それで落ちたのに・・・
もう、わやじゃなあと思いながら、
中央病院にはいって、
7月の終わりに入って
先生からは半年ぐらいで出れると思いますよ
っていわれていたんですよね
ちょうど私も帰ってきて
次の仕事に就くまでだったので、
毎日のように行っていたんですが、
ある日行ったら
僕のこと「まこと」「まこと」と言っていたんですが
「まこと、9月6日に退院することになったんだ」
「うわー、めちゃ早ようなったねえ」といって
先生に「ありがとうございます」
「退院が9月6日にきまって」
というと、「どうもそうみたいですねえ」と。
要は自分で決めてるのです、退院日を。
「ちょっと、服部さん、言うてもしょうがないし」
「きくところによると、服部さんの所は豪邸らしいね」
「???」
「庭を歩くだけで、リハビリになるって、いうじゃないですか」
庭なんてほとんどないのですが、
自分で退院祝いをセッティングしてですね
強引に退院しました。
自分でやる、と。
いうことで、そのくらいとっても頑固で
自分で決めたことは絶対に曲げんと。
自分が救急車で運ばれても、
その事実を認めたくない
というくらい頑固でした。
今日来られてる看護の方も、
介護の方も、思い当たるお爺さん、
いっぱいいるんじゃないか、と思うんですけれども。
そういう父でしたね。
それでも、
入院未遂事件を起こしたのを機に、
本人は大変な目にあったと、
思っているわけでして、
当日は、やっと歩けるぐらいになってですね
ちょっと帰ったんですね
どうしても帰るっていうんで。
しょうがないんで帰って
そこで僕と淡々と話をして
実は私その前に、
体を壊す前に、特養に5年間いたんで、
介護保険のことを常にずっと言っていたんですけど。
それを契機にしぶしぶ納得したと。
ここにレジュメの
黄マスクかけてる内容の所で、
3番目の所に
やっと介護認定申請、
まず、主治医からとあります。
だから、
順番が全く違いますね。
申請しに介護保険課に行って、
通常だとそこから、
「主治医は誰にしますか」とか、
「居宅介護支援事業はどこにしますか」とか、
いろいろ話が出るんですが。
介護保険課に行ったその足で、
即、
常盤台病院に行きました。
あのー、
常盤台病院移転しちゃたんですけど・・・。
あそこの中に行って、
居宅の手続きをしたいんだけれど、と。
「認定申請はされましたか?」
に、対して「しました」と。
先に、
主治医から決めてよかったな、と思うことは、
往診に来てくれる母の情報が、
介護の人や、
看護の人にすぐ伝わる点ですね。
先生が指示した内容が、
その時に介護や看護の人が、
もう知っとてんですよね。
これはとっても、
よかったなと思っています。
主治医を決めてですね
この項目で言えば、
4番目の話になるんですが
「医師、看護、介護の連携で初めて実現できる」
ってタイトルを書いています。
今日来られてる看護の方
介護の方
一般的にですね
確かに職は分かれています。
1人の人がサービスを受ける時に、
ここが医療・・・
医療はなんとなくわかると思うんですが、
ここの部分は看護、
またここの部分は介護
ちょっとよくわからん部分がある。
ただ、職としては分かれてるわけです。
したがって、
私はこの話は特養に勤めて5年間で、
つくづく思ったんですけれど、
看護と介護の連携は非常に難しくて、
たとえば病院では、
看護の人の指示に従ってやる
老健でも同じでどちらかというと医者が中心ですね。
施設では医師は訪問しかないので、
介護の人が中心になって動く、
ですけれど、医療はとっても大切なわけです。
だから、
介護と看護が上手く連携、
なかよくできる環境がとっても大切です。
それができないかを、
いっつも考えていました。
父の時は、最期亡くなる
2008年の12月に亡くなったんですけれど、
右手が何かちょっと妄想のように動いて
ご覧いただいているように、
ぼく自身も身障者です。
1歳の時ドアに手を挟まれて、
右手間接離断しているんですけれども、
父はそこに何か思いがあったのかどうか、
わからんのですけれど、
右手が自動的に動くようになッたんです。
それは知らなくて、
たまたま私も泊まっていたんですが、
朝起きたら血だらけになってるんです。
柵で。
訪問看護が絶対必要ということで、
その看護の人に頼んだんです。
当時は、常盤台病院の系列で、
温泉病院から来ていただいたんですね
事前に処置とかしてもらって、
応急手当とかしてもらって。
さあ、
今日から訪問看護がはじまるという、
その日に・・・
父は亡くなったんですけれども、
だから、
医療関係は父の場合、
あまりなかったんです。
ですげど・・・
母の時は
パーキンソン病で、
一旦は風邪を引いて協立病院の方に、
入院させていただいてたんで、
医師と看護と介護の関係が
とっても重要でした。
先程も、ここに来る前に、
何でその在宅で、
要介護5の人を2人とも、
看取ることができたんですか。
それがみなさん一番聞きたいことだと思いますよ
ハッキリ言って、
僕は身障者で、
心筋梗塞とか、
脳梗塞起こしているので、
体もちょっと、
万全じゃなかった状態なので、
私が必死になって、
一生懸命やったというのは、
一切ありません。
一切ありませんけれども、
私がやったのは、
どれだけのサービスがあるのかを、
常に考えてたというのと、
一番は、
今日ここに居られる、
何人かのケアマネの方がおられるんですが、
そのケアマネの方と、
上手くやり取りできるか。
それだけです。
もうここに、
個人名上げますけど、
常盤台病院の、
母の最期を担当された○○さん。
後ろの方におってです。
それから訪問看護は、
「白鳥」という「大村さん」という方。
が、
みんな一致協力したからこそ、
こういうことができた。と。
決して、
3つの連携を常に頭に入れながら、
ケアマネの方とか、
いろんな方とお話されれば、
決して在宅で最期を看取るということは、
何の難しいことでもなんでもないと思います。
ただ、
施設がいいのか、在宅がいいのか、
これは本人の選択の自由ですから、
それは、ちょっと別の話だと、
思っています。
何でここでこういう風に、
私が在宅の選択をしたかというと、
父は私にこういう風にしろと、
私に指示はしていません。
ただ、病院が嫌いなんで、
そうせざるを得んかったし、
最期、医者って結構、いいよったんです。
右手が動くようになって、
その時ひらき内科の先生に、
来てもらって、話したら、
亡くなる2週間前だったんですが・・・
もしもこのまま中央病院に行っても、
処置は同じだよ。
それより、在宅が好きで、
退院時に、豪邸と偽ってでも帰りたかった、
在宅で最期を迎えさしてあげるのが、
いちばんじゃないかね。
その判断は自由にしてください
僕はどちらでもします。
ひらき内科の先生は、
いい先生だなあ、と思って、
今も、信頼しているんですけれど。
母の場合は、
生前の意思、リビングウィルという言葉、
ご存じですかね。
テレビで見たんだと思うんですが・・・
私がちょうど、
まだ施設に勤めている頃なんですけれども、
ある日、家に行ったら、
仏壇に連れて行かれまして、
仏壇の戸を開けるように言われたんです。
開けたら、自分の処置は絶対せんでくれ、
過剰な医療処置をしないでくれ、
当時、私何のことかさっぱり分からなくて、
これはどういう意味なんだろう?
と、いったら、
自分の思いだ、と。
それが、リビングウィルとか、生前の意思ということで、
おそらくテレビか何かで見たんだろうけれど。
当時、僕は施設の事務で、
隣接した病院があったので、
そこの院長と話して、
この意味は、医学的にどうやって扱うんですか?
と、聞いたら
「そりゃ、本人の意思を尊重することたよ」
と言われて、
「ところで、何でお母さんそんなことを考えるようになったんだろうね」
私の母は6人兄弟の末っ娘で、
引揚者なんですね
新義州、満州、中国の北東部ですね
そこから引き揚げてきて、
大変な目にあったんですが、
一番上の姉、12歳離れた姉が、
福岡だったんですが、
パーキンソン病で、最期、
胃ろうとか、胃に穴をあけて・・・
そういう生活が15年ぐらい続いたんですが、
ずっと見舞いに、
母も行っていましたし、
私もよく車に乗っけて、
行っていたんですけれど、
その状態をみて、
もう処置は、しないでくれ、と、
いう気持ちが強かったんだな。
そういう意向がない限りは、
在宅でという判断は、
僕も出来んかったと思います。
とうしても在宅という考え方があったんで、
医師、看護、介護の3つの連携を、
常に模索していました。
今村のお一人は協立病院の出身で、
地域連携室で全体のとりまとめをされている
来嶋さんなんですけど
母が在宅から協立に行った時、
その窓口になった方が来嶋さんだったんですね。
そこから、余命1ヶ月、て言われて、
胃ろうすれば、余命が生きられる
テレビでも、クローズアップ現代で、
胃ろうのことで、結構議論ありましたけれど、
最後、協立病院の医師、地域連携室、ひらき内科の先生、
訪問看護、訪問介護、ケアマネ、福祉器具業者とか、
全部で10人ぐらい、おっちゃたんじゃないですかね。
本当にこれでいいかどうかの確認をね、
母の意向にそって、胃ろうしないで本当にいいんだろうか
と。
この判断ができるのは、本人、家族しかないんですけれども、
それは、もう、そういうのを聞いていたんで、
胃ろうせずに、戻りました。
ちょうど2012年の4月の中旬に戻って、
6月2日の間に亡くなる1カ月間、
すごい、次から次に
それこそ、夜中も看取り、看てもらう人に立ち会ってもらったり、
ということをしていました。
福祉用具は、
ケアマネの方の腕次第で、
いろんな用具の、
ご提案をいただくんですけれど、
歩行器を使うことが、
ありましたんで、
歩行器を使うんだから、
段差を治そうとしたんですが・・・
大工で、
自分で建てた家なんで、
絶対に変更なんてしたくないんですよ
段差を治すなんて
とんでもない
僕は無視して、
段差を治そうと、
業者をお願いしたんです。
それで、
業者の人が、
段差の所を切って、
綺麗な形にしようと、
寸法を測りだしたところ・・・
「何するんだ」
寸法も全部いうわけでして、
なんぼなんぼだ、
「俺の頭に全部入っている」
いや、あのー
息子さんに言われて、
この段差を治そうとしてるんですが・・・
「そんなこと、絶対するなー」
しませんでしたね
それじゃ、どうやって歩行器を、
動かすんだよ?
と、ていうと、
不思議なもんで、
自分が言った責任からか、
わからないけれど、
歩行器を上手く起こして動かしてました。
とんでもない父何ですが・・・
もう、周りの人は、
ヒビッてましたね。
福祉用具のエコールという所に、
頼んでいたんですけれど、
こんなことするとですね。
ケアマネの人も、
福祉用具の人も、
やろうと思ってきているのに、
徒労に終わって、
顔丸つぶれですよね。
父が亡くなってからは、
バリバリにやりましたね。
改造しまくりました。
もういいだろうと思って。母のために。
だけど、
福祉用具というのは、
いろんな形で選べます。
それと、
ここに「恥ずかしくない自慢できるポータブルトイレ」て、
書いたんです・・・
バイオトイレというものを、
使ってたんです。
バイオトイレというものを、
ご存知の方?
手を挙げてみてもらえますか?
えっ
ひとりもおっちゃない・・・
あのー、
ポータブルトイレなんですけれど・・・
これは、
介護職の仕事が、
根底から変わるんじゃないかと・・・
普通、ポータブルトイレを使うとですね、
まず、臭いが気になりますよね。
臭いが気になるから、
消臭機能をつける。
10万ぐらいでありますね。
ただ、消臭機能をつけても、
一時的なものなんで、
やっぱり臭うんです。
で、中味を替えないといけない。
便もおしっこも大変ですよね。
臭いがすごいし・・・
でも、
バイオトイレは一切要らんのです。
それが。
父はトイレを、
どうのこうのと、
あんまりこだわらなかったんですけれども、
でも、人が来た時に、
見てすぐポータブルトイレとわかるものは、
駄目なんで、
応接セット、
パッと蓋をしめたら応接セットにしか見えない
且つ消臭機能付という、
ありますね、10万ぐらいで。
それを買ったんです。
それでも、負担は1万円です。
母の場合は、
父が亡くなって、母にそれを使ってもらおうとしたら、
女性何ですね。
冗談じゃない!
ポータブルトイレなんて私は要らん!
でも、結果的にはポータブルトイレを、
使うようになったんですけれども、
最初、父の分を使おうとしたら、
絶対にいやよ。
そんなもの捨てて。
新しいのをまた、
買ったんです。
買って、僕とか家内とか替えるですが、
申し訳ない・・・というわけですね
別になんも思わなくてやりよったんですが、
それで、僕や家内が替えんでも済む方法はないかな?と。
そこで、施設に勤めてる時、
広島で使ってみて下さい
と、いうものがあったんです。
その当時は、
50万ぐらいしたと思うんですが、
おがくずみたいのが入っているんですね。
トイレの中に。
ほっといても、かくはんするんです。
おしっこが、水分になって、
便もそこでかくはんして、
分解してなくなるんです。
分解して土みたいになるというのは、
みなさんよくみられると思うんです。
たとえば、
食べた物を捨てたりしたら、
そうじゃなくて、
それが気化する。
無臭の空気になる。
と、いうものなんです。
そして、それをダクトを使って、
外に出す。と。
意外にみなさん知られてないんですけれど、
その機械を使う
ふっと、
昔のことを思い出して、
それを調べてみたら、
12万ぐらいであるというから、
即、入れました。
父の時は、よく自慢してました。
ポータブルトイレでも、
消臭機能付なので、
蓋をすると応接セットにしか、
見えないんで。
母の時は、
それも恥ずかしいといって、
人前に出ると恥入っていたんですが
バイオトイレにしてからはですね
人に自慢するようになりましたね
だから・・・
孫とかは、
そこでしたりしよったですね
ばぁちゃんそこでさして
とか言って
僕はようせんかったんですけれど・・・
したりしていました
小さい孫は
それこそ、
恥ずかしいという気持ちから、
自慢できる
これは、おススメだと思います。
もちろんかくはんするから、
電気代が要ります。
ポータブルトイレは12万で、
1万2千円で買えますね。
おかくずは、1年分で1万ですが、
1万も使わないですね。
せいぜい5千円かな
電気代は1月800円て、出てたから、
そんなにかかってないかと思います。
僕はおススメだと思うんですけど、
なんでか知らないけれど、
使っちゃないですね。
amazonで出しているぐらいだから、
あんまり売れない?
amazonで買うのは、
おススメしません。
なんでか?
設置しないといけないですから・・・
設置して、窓とかでも開けて、
ホース入れるとか、それがあります。
やっぱり、それは業者の人に、
やってもらわないと・・・
素人の手でやるには、
ちょっとしんどいものがあります。
まぁ、器用な人はやってですけど。
それは、そういうのを使われると、
すごく便利かなぁと思います。
母が亡くなって4年。
昨年3回忌をしたんですが、
そのバイオトイレは、
見に来る人が時たまおってだから、
まだ、家に置いてます。
空き家に。
そういうことで、
そういうのを使ってやってましたね。
6番目の所に、
あー
ごめんなさい、7番目の所に、
在宅か、施設か
ということを書いたのですが・・・
在宅か、施設か、といって、
ちょっとピンとこない人が、
多いんじゃないかと思います。
こういう言い方するのは、
テレビとかでもないのですが、
在宅というのは、
たとえば要介護5だと、
持ち点があるわけです。
これだけサービス使っていいよ、と。
医療はないですけれど、
介護の場合は35万ぐらいの、
持ち点があるわけです。
フルに使ったら、
その1割、3万5千がかかりますよ。
でも、実際は施設とか、はいったら、
食事代とかあるので、
なんやかんやで、
5万から10万、
収入によって全部違いますから、
そして、
そこの施設が社会福祉法人じゃなくて、
医療法人とかだったら、
10万から15万・・・・
だんだんと増えていきます。
しかし、
在宅に居る場合は、
自分でコントロール出来るわけです。
もちろん、
コントロールされるのは、
ケアマネの方です。
ですけど、
35万の内、どれをどのくらい使うかは、
自分でコントロールできるわけです。
枠の範囲内で。
ところが、
施設に入ると、
100%施設がコントロールします。
厚生労働省のホームページに、
こういうデータがありまして、
たとえば、
要介護5だったら、
358,300円というデータがあるんですけれど、
じゃ、みなさんどのくらい使っとてんじゃと。
使用率が62.8%
358,300円について222,250円
しか使っていない・・・ことです。
施設に入ると100%施設が使いますから、
いかに、個人の人は使っていないか、と
いうことです。
もっと、在宅では使っていないんですね。
もっと、在宅で使っていないのは、
知ってるけれど使わないのか?
知らないから使わないのか?
今日来て、私がお話したいなと思うのは、
サービスはたくさんあるんです。
たくさんあっても、
知らないから、
おそらく使われていないんじゃないかな。
だから、
62%という数字は、
施設は100%ですから、
実際の在宅の人はもっと、
低い数字です。
あんまり、使われていないんじゃないかな?
と。
さしずめ、
要支援1だったら、
49,700円で、49.7%。
これは、頷けます。
要支援で施設に入ることは、
ないですから。
ですけど、
使いきっていない・・・。
ただ、
ある施設の長の方が、
こういう話をしたことがあります。
それで、あのー
今時間が、・・・
もうちょっとあのー、
10項目までお話して、
トイレ休憩をしたいと思います。
人が老いてゆく時に、
一番大切なものは何か
これは私の経験ですけれど、
やっぱりプライトかな
と思っています。
さきほど、
トイレの話をしたんですけれども、
父は・・・あまり細かいこと言わん・・・
なので、病院の先生の言うことも、
いっこも聞かんというタイプだったので、
恥ずかしいとか
そういうことは、思ってたかどうか、
わからないんですが、
自分の生き方に確信持ってたんで・・・
母は、やっぱり人目を気にするとこが、
ありましたんで、
ポータブルトイレを最初に置いた時は、
ものすごう、恥ずかしがりました。
人を入れんでくれと言われましたね。
私がポータブルトイレを、
うんうんいって運びよったら、
持ってくんな
というぐらいに、
最初、恥ずかしがっていました。
そのうち自分が使わざるを得ない、
となると
恥ずかしがって、
セブンイレブンの人が、
家にね持ってきて、
くれてたんですが、
ベッドに迄、
持ってきてくれてたんですが、
それを、
戸を開けんでくれ、
ということもありました。
ところが、
このバイオトイレにしてからは、
むしろ「見てくれ」
と、言ってましたから、
自分が通じした後でも、
見てくれと。
すぐ、攪拌して見えなくなりますから、
特に特養なんて行くと、
臭いがありますよね
施設によっては、
トップライト方式で、
どんどん臭いが、
出るところもありますよね。
在宅では、
トップライト方式なんて、
できませんから、
しょっちゅう窓開けるとか、
しないといけないんですけれど、
父の時は時々していましたけれど、
母の時は一切しませんでした。
ただ、在宅で選択するとですね、
葬儀に来た親戚の人が、
どこでなくなったか、
聞くわけですよ。
病院でなくて家で、
というと、
そんなことが、
できるわけないじゃん
と、いうことを、
結構言われましたけど、
説明するのもめんどくさいんで、
一切それに対しては、
とにかく、家、だよ
と、いうことしか言いませんでした。
在宅で看取るのは、
おそらく、
大半のひとはそういう気持ち、
多いんじゃないでしょうか
施設入られても、
最期在宅で、という人も、
おってんじゃ、ないかと思います。
そういう点では、
やれないことはないのかなあ、と。
いろんな方に聞いて、
いろんな方法をケアマネの方と、
よく相談されたらいいと思います。
母は、
2012年の6月2日に、
亡くなったんですけれど、
亡くなる3日前に、
不思議な手紙がきまして、
何かというと、
6人兄弟の末っ子で、
一番上に、長男がいたんですけれど、
長男と一番中が良かったんです。
長男は戦死したんですね。
戦死の理由が、
南方の飛行機の事故でとか、
操縦ミスでとか、
わからなかったんです。
でも、
亡くなった時に、
母以外の全員の枕元に立ったという、
ぐらい、壮絶な死だったんだろうと思います。
その兄のことについて、
京都のある団体から、
手紙が来たんです。
それは、何かというと、
沖縄で兄じゃないかという写真がある。
と。
それを米軍が沖縄の時に、
持って帰っていたんらしいんですね。
その写真集を。
ところが、
なんで持って帰ったのか、
わかりません。
良心の呵責から、
米軍の人が、
とうしてもこの写真の持ち主を、
探し出して、本人に返したい!
ということで、
そういうことを取りまとめる、
団体が京都にあって、
その京都の人から、
あなたのお母さんの、
お兄さんじゃないかと思うんだけど、
ということを、
面々と綴って来てたんです。
それを母に、
読み聞かせたりしたんですけれど、
沖縄という言葉は、
なかったんで、
母の呼吸が、
僕がそれを読んだりすると、
呼吸が乱れたりしてました、
亡くなる3日前だったんで、
ですけれど、
その方に対する返事は、
結局わからないと
写真も似たものがあったんですが、
わからないと。
わからないというのを、
メールで書き終えて、
面々10pぐらいのものを、
書き終えたんですけれど、
写真とか付けて。
書き終えたときに、
ちょうど母が亡くなった、
午後1時ぐらいだったんです。
おそらく、
仲が良かった兄が、
英霊と言われるそうですね、
戦死した人は、
英霊として迎えに来てくれたのかな
と、思います。
人間が亡くなるときは、
不思議なことがあるなあと
思います。
(講演前半、58分終了、休憩)
実は、高齢化というのは、
1960年代は5.7%だったんです。
1960年代というのは、
私が生まれてちょっと経った時ですね。
1970年代が7.1%
1980年代が9.1%
1990年代に、
突然10%台にはいって12%。
2000年代になって、
今から15年前ですね
17.3%
そして今は20%代後半。
私が住んでいる開は、
個人的な話をしますと、
二俣瀬に家があって教室をしたり、
開の実家で教室をしたりしているんですけれど、
家内の両親が猿田(開6丁目)に住んでいて、
昨年母が亡くなり父だけになって、
毎日行くようになって、
最近、開に居ることが多くなりました。
その開で・・・
何でかよくわからないんですけど
実は私、自治会に入ってもないのに、
会計をやってくれないか
と言われまして、
私、自治会のことは、
全く無知で、
会計・・・
元々経理が20年と長かったので、
会計を安易に引き受けたんです。
ところが、
会計って自治会3役と知って、
とんでもないものを引き受けてしまった
と、思ってこの2年間翻弄されてたんですが。
そういうことでですね。
その開地区、
上宇部ですね、あの地区の、
高齢化率は、25%超えています。
すごいんですよね。
勝手にしゃべっていいか、
どうかわからないんですけれど、
実は、宇部市から、
高齢化の計画の検討会議の、
対策委員になっていまして、
まあ、これはいいんじゃないかと、
思いますんで・・・
全国平均よりも、
10年くらい進んでいるそうです。
山口県は。
高齢化が。
逆に言えば、
全国平均よりも、
10年。
施設や在宅サービスが、
充実しているということです。
おまけに、
さっきちょっと、お話したと、
思うんですけど、
先程、バイオトイレの話をしましたね。
バイオトイレにしたら、
1万2千円という話は、
確かにしました。
でも、
実際の手続きは、
どうなるんだ?
と。
だから、
みなさん全国平均より、
10年進んでいる高齢化のところだけみて、
お先真っ暗なんて思わないでください。
そんなことはない。
それだけ進んどるんですから、
さらに、
県内でも進んだ宇部にいるんですから、
いろんなことを、
学ばれたり、聞かれたりすると、
こんなこともできるんだ。と。
自分の立ち位置が、
わからないんですよね。
今やりよることが、
介護保険制度と医療保険制度の、
どの位置にいるか
中々わかんないもんですけど、
ここにいるんだ、
そこにいるんだ、
ということが、わかれば、
パーと見渡せば、
これ使ってみようかな
とか
あれ使ってみようかな
とか
絶対施設は嫌だという人でも、
ちょっと時々行くのも、
ホテル代わりでいいよね。
という、感覚だってあると思うんです。
一旦、居宅を契約したら、
居宅がかわれん、というのも、
本当はないんです。
でも、
居宅一旦決まると、
中々かわらんですよね。
それは、
何でかというと・・・
こんな話しちゃ、
いけんでしょうけど、
居宅かわったら、
宇部市が聞きますから。
何でかわったの?
ケアマネの人よくなかった?
全部今村にかわりなさい(爆笑)とか、
そんなこと、いわんでしょうけど、
そういうふうになるわけです。
自然と、枠にはめられた感じになって、
もうそれしかない
というふうになる。
私の近くによく母の友達が、
いたんですが、
私が、ケアマネに色々説明受けて、
もちろん料金の話も説明受けて・・・
その方が帰られて、
私にこういう質問しちゃったんです。
何でお金払うの?
僕は最初質問の意味が、
わからなくて、
何で払わないの?
と、思ったんだけど・・・
その方は、
介護保険料は自分で払っているんだから、
あとのサービスはただだろう。
でも、その方は、
自分で健康保険料払って、
ひらき内科に行ったら、
ちゃんと支払いするんですよ。
何でそういうふうな考え方するのか?
と、いったら・・・
おそらく、歴史が違うんですよね。
健康保険は100年近く続いた歴史だから、
あたりまえなの
生まれてその方ずーと同じ方式で来てるから、
だけど、
介護保険は、
おぎゃーと生まれて、
まだ、14、5年だから、
歴史がないから
知らない人がいっぱいおるわけです。
だから、
介護保険料払って、
また何でお金払うわけ?
それ、おかしいんじゃないの?
おかしいんじゃなくて、
あなたの頭がおかしいんだよ(笑)
と、言うんだけれど、
わからんわけです。
病気だね。
入院せんにゃいかんよ。
わかりました。先生。
僕、入院するの好きじゃないけど・・・
どこに入院するんですか?
そりゃ、○○病院だよ。
と、いうわけです。
先生、僕、
先生も知っとるように
僕は超わがままで、
海が見える病院がいいんじゃけど・・・
馬鹿なこというんじゃないよ
海が見える病院じゃないと、
行かん。
じゃ、この病院だね。
この病院でも、部屋がそこになるか、
わかんないよ
いや
海が見えて、尚且つ、
看護婦さんがしょっちゅう
来てくれる部屋がええ。
そんな、わがまま、いうんじゃねえ。
いいながら、
絶対そうじゃないと、僕は入院せん。
死ぬよ、あんた。
いや、絶対譲らん、と。
わかったよ。
○○病院の集中治療室の近くだったら、
体制も9対1じゃなくて
もっと体制が充実してて、
ここの部屋は、どうかね。
これ?
わがままな話かな?
と、僕は思っています。
今から20年前、
みなさん旅行に行く時に、
ホテル泊まるのにですね。
ほとんど、旅行会社に、
行ってたと思うんですよね。
いま、この中で、
インターネットでホテル探す人、
結構おってんだと、思うんですよ。
病院でも、介護施設でも、
探せる時代になってるはずなんです。
いやー
その、この病室のこの部屋じゃないと、
入院できんというのは、
まず、あんまりないんじゃないかと、
僕、思っています。
ただし、
いろいろ治療の内容によって、
違うわけです。
たとえば、
私自身が2004年、
心筋梗塞を起こしたんです。
私、全く知識がなかったんで、
心筋梗塞起こして、
二俣瀬から救急車よんで
きてもらって、
どこに行きますか?
って救急車の人がきくから、
よーわからんから
中央病院と言ったんです。
中央病院に運ばれました。
ところが、
中央病院ダメだったんです。
何でかっていったら、
心筋梗塞したら、
カテーテルっていう中に針を・・・
最近、テレビでやるから、
よくご存じだと思いますけど、
カテーテルを股の間から、
針を入れて、
そこで液を入れて
つまっているかどうかを調べる。
これ、カテーテル検査というんですが、
そこまでは、当時の中央病院は出来るんです。
じゃ、つまってるから、
そこに風船を入れて膨らまそう
これは、できんかったんです。
今、中央病院、どうなっとるか、
わかんないですけれど、
そうすると、
中央病院に連れていかれたけれど、
違っていたわけです。
行き先が・・・
あの当時、出来るのは、
厚南セントヒルと、
山大だったんです。
全然、知らないから・・・
救急車の人もわからんわけです。
翌日、言われました。
あの先生じゃなかったら、
服部さん、おらんかったね。
それは、知らんかったからです。
今まだ、差し迫った状態に、
医療でも、介護でもなかったら、
それは、関係ないかもしれませんが、
事前に知っておくと、
それは、全然違います。
知っておくと、
それは、もうマップを、
手に入れるようなもんですから。
マップを手に入れておけば、
何か起こった時に、
どこに行けばいい?
と、いうのが、すぐわかるわけです。
でも、マップがなかったら、
そのマップ探しから、
始めんにゃいけんですから。
そこは、とっても価値がある。
そのマップのナビゲーションは、
誰がやってくれるんだ
と、いったら、
介護や看護は居宅です。
僕、電話して聞きました。
どういう仕組みですか?
って、いったら、
たとえば、
私が山大に入院した、と。
入院して、ひらき内科に戻ってきたと。
ひらき内科に戻ってきたら、
先生すみません、
僕のデータを見て下さいといったら、
そのシステムに接続して、
私が了解してたら、
あなた山大でこんな検査したね
と、いうことが、
全部見れるというしくみ何ですね。
ちょっと、
私がさっき言った、
わがまま三昧でてすね、
海の見える部屋にしろ、とかね。
美人の看護師さんがいる部屋にしろとか、
いや、美人とは言わんかったか(笑)
そういうことができるしくみとは、
かけ離れていると思います。
でも、
そういうのがあれば、
いいんじゃないかと、思います。
今村くらしの相談室の、
出会いといって、
人間、やっぱり出会いで、
私の母が先程説明したように、
一旦、入院したくないと
言いながらも、入院して
宇部協立病院に入院したんですね。
どうも、母が入院する前から、
宇部協立病院と結構、縁があって、
父が亡くなる頃に、
亡くなるその月に
母が外で水をまきよったんです。
そしたら、
何かの拍子にひっくりかえっちゃって、
鼻の下を凄い出血したんです。
その時に、近所の人が、
連れて行ってくれた病院が、
宇部協立病院だったんです。
休日でたまたま、
その時に空いてる病院だったんです。
1年か、2年して、
今度は、家内が二俣瀬という所に、
居を構えていたんですが、
居といっても、借家ですが・・・
あそこは、やっぱりね、
町中の自治会と違って、
今月は神社の掃除とかね、
いっぱいあるわけです。
レジメの写真にある、
1番のところに、
300人ぐらいの方が、
シルバーセンターで、
聞かれたということなんですけど、
5つぐらいの例の中のひとつとして、
紹介されたそうなんですが、
その時に、
お話を聞いてちょっと、
訪ねて来られたのが、
今村くらしの相談室の野村さん、
と、
来嶋さん、
と、
大村さんが一緒に来られた、んです。
だから、
人の縁というのは、
不思議なもんですよね。
今ここで、
私がここでしゃべって、
ええんじゃろうか、
最初、
僕がしゃべって、というのを、
確か12月に依頼されたときに、
僕がしゃべって、
聞きに来る人がおるの?
と、言う風に思ったんですけど、
みなさん今日、来られてるんで、
何か、為になることがあれば、
参考にしていただければ、
と、いうふうに、
思います。
それと、
今後の活動という点ではですね、
さきほど申し上げました、
経験したことを話す、
経験したことを共有化する
ということは、
とっても大事なことだと、
僕は思っています。
何でかというと、
たとえば、
うちの家で、密かにパソコン教室とか、
根強いファンの人だけにとか、
したりするんですけど、
パソコン教室に来られた、
ある60以上の方が、
こういう質問されまして、
あるところから、
こういうものを買いませんかとか、
言われている。
迷っている、ので、
どういうふうに、
判断したらええんじゃろ。
パソコン教室と、
何も関係ないんじゃな、
と、思いながら、
こう答えたんです。
もしもその人が
その人自身が持っとって、
さらにそれが役に立っているんなら、
それは、きっと価値のあるものですよね。
だけど、
その人が持っていないものだったら、
わからんですよね。
ものすごくよくわかりました、
といって、帰られたんです。
たとえば、
メールいりますか?
と、きくと、いらないとか。
ありまして。
ある方が、
静岡の浜松の方だったんですけど、
男性の方で、
何回も申込みされるんで、
珍しいなと思い、
ちょっとこちらから、
メールで質問したら、
脳梗塞を自分は、
起こした、と。
脳梗塞起こして、
リハビリに仲間と一緒に、
作っている。
生きがいになるから、と。
と、いうことで、
使い方にはいろんなものが、
あるんだなあ、と。
これからの時代は、
いい商品ができたから、売るという
マスメディアでやる時代と違って、
個人、個人が、
自分のバージョンのものを
求めたい時代だと思うんです。
だから、
そういう点では、そういう活動を、
していきたいな、と。
いうふうに思っています。
えーと、
時間、3時、7分前なので、
これで私の講演は終わります。
すみません、どうも。
ありがとうございました。
(講演後半、20分終了、質疑に続く)
ホント、ざっくばらんに、
服部さん、どんどん実名(一部を表示)を、
出してますし、
本当にローカルにやっていますので、
どなたかお伺いしたいこと、
ありませんか?
バイオのトイレ、
私も見せてもらいました。
きっと、高いんだって思って、
今日、値段を聞いて、
妥当なところだと思いました。
実際、介護用品の所には、
掲載されてるんですよね。
掲載されているんですが、
私も業者に確認していませんので、
業者に確認せんにゃいかんなあと、
思いました。
ケアマネさんも、
すぐ横におられます。
とんな方でもいいので、
何かありませんか?
若くして、
民生委員をされてる方で、
民生委員をはじめて、
まだ、1年ちょっとなんですけど、
私も高齢者の方々を、
訪問しながら、いろいろご質問を受けて、
私が未熟で、何も知らないので、
1人で抱えてしまっているんですが・・・
センターとかに話をしたりとか、
自分も情報を得なくてはならないんですけれど、
今日こうやって、
服部さんから聞いた情報を、
発信出来ればと、
思っています。
ありがとうございました。
突然に、当てて、
申し訳ありません。
こんなことは、ないはずじゃが、
と、思いながら(笑)当ててしましました。
今日は、
近所の方も、来ていただいているんですよ。
本当に熱心に聞かれて、
○○さん、ちょっと一言、
感想でも、いかがですか?
え、私?
いや、なんでも、
感想でも、結構です。
私は、全く介護にかかわる人が、
いませんで・・・
今日も、野村さんに誘われて、
いつもと同じような勉強会かな、
と、思って来たんですが。
いつも、全く経験をもとに、
聞くということが、できない状態で、
本当に雲をつかむように、
聞くんですが・・・
それでも、
お話を伺えば、
ひとつぐらいお話をきいて帰ろうと、
いうことで、
ひとつずつ、覚えて帰って
そのことが、自分ではないんですけど、
まわりの友達だったりに
伝えることが出来れば
いいと思っていました。
何かありますか?
今、何で広がらないのか?
と、いうのは、
絶対その理由かどうかはわかりません。
ですけど、
たとえば、
一般在宅の方は、
おそらく、知らないからだと。
と、言うことだと思うんです。
浜松の一地域で作る小さな会社ですから。
てすけど、中々そこの会社も、
あまり広がらないから、
一時は潰れかけたんです。
で、
大阪のウェルファンという会社が、
救済措置をして
「これは、とても価値があるから」
と、いうことで、
続いている、そんな状態です。
じゃ、何で一般の施設で出ないか、
と、いったら、
おそらく、行政が、
しらないからだと思うんです。
行政で、施設とか作る時は、
一定の基準とか、ありますから、
もしもそれをやるとなると、
穴を用意したりとか、せんにゃいかん、
おそらく、知らないから、
そういうものの、
助成も出ていないんだろうと、
思います。
おそらく、
そういうことで、
あんまり広がっていないんだと思います。
と、いうことらしいです。
今日は宇部市の方ばかりだと、
いうことなんですが、
違うんですね。
1人だけ、
宇部市以外の所から、
お越しになっているんです。
小郡第一病院の、
地域連携の方です。
すいません。
宇部市の方は、
いつも参加させて、
いただいているんですが、
山口市から参りました。
宇部市はとても、
積極的なんですね。
私、山口に居るんですけれど、
山口の方いらっしゃいませんですよね(笑)
先程、宇部市を誉められていましたよね。
本当にそうだと思います。
連携が出来ているんですよ。
対応がいい。
みなさん、
幸せでいらっしゃいます。
今日は大変貴重なお話、
ありがとうございました。
すいません。
これまた、突然ふって(笑)
小郡の第一病院ですか?
そうです。
小郡の第一病院は、
すごい病院で、
ちょうど私がぶっ倒れたあの頃に、
私の次男が手を怪我して、
骨折したんですけど、
その時に、
ブラックジャックみたいな先生がいる?
ということを聞いて、
土井先生でしたかね?
確か・・・。
すごい、
ブラックジャックみたいな、
できないことを、
やっちゃうというような、
そういう先生がおられるというのを、
聞いて、その先生に、
手術してもらったことがあります。
感謝しています。
まだ、
健在でございます。
すごい、
全国から来とってんですよね。
ばりばりの急性期ですから、
なんかあったら、
行ちゃたがええと思いますが、
すぐ帰されます(笑)
はい、そういうことで、
宇部市が非常に誉めていただきました。
とりを飾るのは宇部市の人しかおっちゃない、
ご近所福祉の方です。
もう、完全に、
当らないと思っていたんですが、
宇部市の○○と申します。
野村さんと、来嶋さんが、
活動されてます、
ご近所福祉を担当しておりまして、
服部さんとも、一度ご近所福祉で、
16団体が集う交流会で、
一度お越しいただいて、
顔合わせしたと思うんです。
すみません
今日の話をお伺して、
やっぱり、経験談とか、
情報を共有化してゆくことと、
言うのは、すごい大事だなと、
思っております。
このご近所福祉も、
主に、介護予防。
どこの団体さんも、お元気な方が、
来られることが多いんですよね。
高齢者が、やっぱり楽しんで来られる。
何を楽しんで来られるか、というと、
ほんのちょっとしたこと。
たとえば、手芸やったりとか、
世間話をしたりとか、
自分の役割が与えられて、
自分はこういう役割が、
手芸ではあるんだとか。
生きがいを見つけられる、と。
て、いうふうに、
みなさん楽しみにして来られてます。
で、それが生きがいに、介護予防に、
繋がっていくんだろうなあ、と、
思っています。
この拠点というのが、
今、16ヶ所あるんですけど、
やっぱり、
苦労されていらっしゃる所があって、
ですね、
継続してゆく、というのは、
すごく大変です。
で、今拠点だけでは、
中々上手くいかない所があるんで、
16団体といっしょに、
先程、それこそ、
自分たちで体験している経験談とかですね、
一緒に話してもらって、
盛り上がっていこうかな、と、
そういう所です。
だから、
誰でも先生に、
なれるんですけれど、
毎週、教えてくれと、
しがみつかれて、
いるんですけど、
クラフト、本当に、
長谷川(認知症の簡単測定方法)でも、
とろうか
というぐらい、
介護予防の人に、
特にいいんだと、
思うんですけれど、
頭と指を使うので、
絶対に認知症予防にはいいと、
思っているんですよね。
私たちは、
高齢者だけでなく、
若い人、見た目も、
とても素敵です。
来嶋さん今日、
持ってきていますけれど、
素敵なので、
若い人も結構着ていただいています。
専門職も、予防が認知で、
ちょっと、はじまったかな、と
いう人には改善は出来ないまでも、
維持することには、
すごく大事なので、
指先と頭を使うという所で、
是非クラフトをすすめていただきたいな、
うちでなくても、いいと思っていますので、
ここで、宣伝をしておこうと思っています。
と、いうことで、
ずいぶん早く終わるんですが、
みなさんありませんか、
質問しちょかないと、
いけんようなことは、
ないですかね。
すいません。
宣伝しとかないと、
うちの相談室は、
もちろん私と来嶋さんが、
主となってやっていますけれど、
メイトというのがありまして、
今メイトという可愛い名前が、
ついているんですが、
全部で計11名おります。
そういう方が、
今日も手伝ってくれてます。
ほとんど、
医療職だったりするわけです。
もっと近所の人が、
増えてくれたらいいなと、
内心思っていますが、
一応、その方々に、
支えてやっているところです。
今質問が出たのは、
そのメイトの方から出ていますので、
今日はたくさん集まっていただいて、
ありがとうございました。
先程から、
服部さんが多大に、
紹介してもらって、
宣伝していただいています、
白鳥の大村と言います。
医療フォーラムの方で、
服部さんの事例を、
しゃべらせていただいたのが、
きっかけで、今日があります。
で、訪問看護にかかわりながら、
エピソードをご紹介したいと思ったので、
手を挙げました。
先程から出てます。
バイオトイレというのを、
まず、私すごい緊張して、
服部さんの家に契約に、
行った時に、
その話をまず、
されたような記憶があるんですね。
それで、私ステーションに帰りまして、
みんなに、
「服部さんは、タダものじゃないよ」
「すごいトイレがあったよ」(爆笑)
「気を引き締めて入りましょう」
ことを、言ったように覚えています。
思いだしました。
非常に懐かしい思い出です。
今回の服部さんの、
療養生活は、がんの、
患者さんとは違いまして、
1ヶ月半という、ロングな、
療養生活になりました。
やっぱり、
ロングになったり、
短くなったりするケースが、
色々あると思うんですけれども、
その状況の中で、
私たちがどんな役割をしてきて、
支えられるのかなということを、
すごく勉強させてもらったし、
あのー
実は23年の10月に、
開業してですね、
服部さんて、とっても
大変なお客さんだったんです。
私たちも、
スタートしたばっかりで、
メンバーの中には、
訪問看護初めての方もいましたし、
気合いを入れていこうね、
という所で、
非常に勉強させていただいた、
ケースでもありました。
で、
私たち訪問看護の、勉強を、
させていただきながら、
私たちのステーションも、
ちょっと成長したかな、
と、いうようなケースであったので、
ご紹介させていただきました。
ちょっと、私、
ケアマネさんの話も、
聞きたいなとおもいまして・・・
ありがとうございます。
当時、私はケアマネ駆けだしでして、
ただ、ただ、一生懸命やってて、
毎日、訪看の大村さんとか、
ヘルパーさんとか、
レンタル事業所も入っておりました。
エコールさんとか。
さまざまな方に、
助けてもらいながら、
寄り添うという所で、
支援して、
みんなで協力して
いただきながら、
服部さんの支援がかなった、
と思います。
思いに沿うという点が、
当時、本当に難しくて、
私個人は、
ケアマネなんですけど、
福祉系のケアマネで、
大村さんに本当に、
助けてもらいながら、
ご家族が満足いただけたと思うんですが、
そういった支援が、
出来たんではないかと思います。
今、言われたように、
ガンのターミナルではないということで、
ガンのターミナルだとしても、
短い期間で支援することもあるんですが、
1ヶ月半、という、長い支援を、
本当にみんなで協力して、
やったという思いは、
私の中には、
あったんですけど、
こうやって、
ご家族からの話を聞くと、
また、私も振り返りが出来て、
大変いいお話を聞かせていただいて、
また、2年以上たちますし、
大変ありがたいと思いました。
ありがとうございます。
私は認知症じゃない
と、いう人こそ
認知症何ですが・・・
実際、
認知症でこんなことをして、
困ったということは、
ないんですか?
それは、
ADLがだいぶ落ちていたので、
そんなことはないんですが、
なんか、こう、
それ、本当の話かな?
という空想話は、
よく出ていましたね
基本的には、
あんまりいごきまわらなけれぱ、
認知症は少々あっても、
何とかいけた
ということですかね。
そうですね
先ほど、
訪問看護の人や、
ケアマネの人に、
いろいろと、こう、
お話しいただいて、
ハッキリ言ってですね
振り回してた、と、
訪問看護さん、と、
ケアマネさんを
申し訳ないなと
思いながらも、
いいたいほうだい、
いいながら、やってました。
凄腕やな、
と思いましたね
僕も実は体を壊す前、
介護のことを5年間経験してたんで、
それと、
一番最初のごあいさつのあった、
ケアマネの方から、
父の時はそれほど、
医療のことはなかったんですが、
母の時は絶対に、
医療と看護と介護の3つの連携が必要だと
思っていたんで、
どうしたらそれが出来るかを、
ずっと考えよったんです。
連携って非常に難しいから、
ところが、
ケアマネさんの方から、
使ってもらえませんか
っていわれて
それは、どういう人ですか?
って聞いたら、
常盤台病院出身者の方で・・・
絶対にいける、
と思いました。
何でかというと、
元々の仲間だし、
しょっちゅう連係プレーが、
できると思ったんで
絶対その人にしてくれと、
お話したのを記憶しています。
使ったのが、運のつき、
振り回されまくってですね。
お二人はてんてこ舞いに、
なったんじゃないかと思います。
その節は、お世話になりました。
すみません。
医者と看護と介護の連携は、
私たちがまさに、めざすものです。
質問?
来嶋さん。
来嶋です、お世話になります。
いい話のあとに、
とても、日常的な質問何ですけれど、
私も、高齢の母を抱えてまして、
在宅で看るということは、
さっきも、あのー
服部さんが言われたように、
いろんなことを駆使すると、
それはそれでできると思うんですけれど、
24時間拘束される家族としては、
たとえばでかけるにしても、
中々、決断がいるし、
それに対し、服部さんたちは、
どういう風に対処されていたんですか、
大変なプレッシャーだと思うんですが、
今後の参考の為に、
教えていただけないでしょうか
プレッシャー?
あっ、はい、じゃお応えします。
プレッシャーというのは、
わかんないですけど、
私が、あのー、よく言われていたのが、
母と私の関係が、
僕が小さい時ケガしたということも、
あるんでしょうけど、
よく家内に言われた、
何人たりとも、
入り込めない、
阿吽(あうん)の呼吸があるよね。
僕、男2人兄弟で、
弟は大阪に居たんですけれど、
よく呼んだりしてたんですけど、
何人たりとも、
入り込めない、
阿吽(あうん)の呼吸がある
何を特別にしてるわけでは、
ないんですよ。
なんか、茶碗ひとつ動かすにあたっても、
何をやるかが、わかってこうやっているとか、
と、いうようなそういうとこがあって、
それと、
母がいっつも、一番上の姉のことを、
先程お話した12歳上の姉のことを、
パーキンソン病で大変だったと、
胃瘻(いろう)をせんでくれとか、
しょっちゅう聞かされていたんで、
あーゆうことが出来たんだと思います。
私、おそらくUターンして、
ただの5年間勤務だけだったらですね
おそらくああいう判断は出来んかったかも、
しれんですね
それと、
ちょっと誤解がないように、
在宅をすすめてるわけじゃありません。
私
施設をすすめてるわけでもありません。
それは選択の自由だと
思っています
それぞれ生き方の自由
施設の人がそれがあったから、
助かったということも、
いっぱいあるわけです。
昨年の12月から
ある社会福祉法人のお手伝いに
事務ですがコンサルとして
入っているんですが、
施設が出来て15年ぐらいで、
まだ、15年前に入った方が、
何人かお元気でしたから、
特養というのは昔言われていたのは、
2年間でほとんど全員が入れ替わる
というふうによく言われていました。
私はびっくりしました。
だから、
施設がいいか、在宅がいいか、
は、何とも言えません。
ただし、
在宅をベースに国は考えている
これは、間違いないと思います。
それは、平成11年、いや、12年の、
スタート時からそうなんです。
在宅をベースにしてるけど、
中々在宅にいかない。
だけど、
だんだん財政が逼迫したりして・・・
だから、
メニューを増やして、
日本国民それぞれが、
いろんなサービスを選べるような、
メニューにしてなんとか、
終息を図ろうとしている
のが、今の国だろうと思いますし、
そして、
私は間違っていないと思いますし、
その政策にのっとって、
宇部市も何とかしようとしているのは、
言いたい放題、宇部市に言いましたけど、
僕は立派なとこだと思っています。
ただ、
答えがない世界なんで、
介護でも医療でも、
答えがありませんから。
この介護でも、医療でも、
答えがありませんから。
さきほど、
お話いただいた、
訪問看護の方や、
ケアーマネージャーの方に、
よく相談しながら前に進むしかない。
答えのない世界なんで、
こうやって、こうやったら、
最期迎えられるよ、というのは、
ないんで、
あまり変な情報に振り回されずに、
信頼できる人とお付き合いしながら、
自分のしたいように、
施設がベストかもしれませんし、
在宅がベストかもしれませんし。
そりゃ、
それぞれ全員違うと思いますから、
そこだけ、誤解がないように、
最期申しあげておきます。
はい、ありがとうございました。
いいですかね。
ポスターのレジメのはじめにも、
書いたと思うんですけど、
在宅、在宅と叫ばれながら、
家族の絆というのが、
結構薄れている時代だと、
思うんですね。
それを、とんなふうにして、
在宅で支えるの?
というのは、
ものすご大きな問題だと思うんです。
その中で、服部さんが言われた、
ヒントがあったな
と思うんです。
元気な時から、
どんなふうに最期迎えたいなと思うか?
ちょっとシビアな話ですけど、
でもそういう話を、
笑っている時に話しておくのは、
すごく大事なのかな?
胃瘻はしないとか、
尊厳死がいいんだとか
そういう情報は溢れているので、
やっぱその中で本気で、
家族がやはりそういう
いざという時の為のことを、
元気な時に話しておくということが、
非常に大事かなということが、
思います。
せめて、子供が遠くに行って、
独居というひとは、
いっぱいいます。
せめて正月、お盆とか、
会う時にはそんなことを、
少しは考えていかないと、
いけないのかな?
お答えをいただいたのかな?
と、思います。
ということで、
一応みなさんこれが、
聞きたいことがなければ終わろうと思いますが、
服部さん、最後にいいですか?
そのために、
まわりのケアマネの人とか、
訪問看護の人を振り回した、と、
言うのがあるんですけど、
そういう点では、
目的は、そこにあったんてすけれど、
たくさんの人と知り合いながら、
やったと。
人が亡くなるということは、
悲しいことだと思いますが、
達成感という言い方が、
いいかどうか分からないですけど、
悔いがないということも、
ないことなんで、
正解がないんですけれど、
今も笑って暮らせるということが、
その答えかなということは、
思っています。
家内はあーやって言っていますけれど、
結構、こまかな神経、心配りがあって・・・
ここで、ちょっと話があります。
最期、亡くなる時はですね。
痰が詰まるわけですね。
痰が詰まらないようにするには、
吸痰の機会が必要なんです。
最初、入院は嫌だと言った時には、
酸素ボンベ等を家に入れて、
やってたんですけど、
それでも、どうにもならんで、
宇部協立に行って、
戻って来た時には、
酸素ボンベは要らないまでも、
導尿から吸痰からありまして、
吸痰は、
みなさんは釈迦に説法でご存知でしょうけど、
看護の人は出来るけれど、
介護の人は出来ん。
介護の人はある一定の条件の下なら、
出来るように今なっています。
ですけど、
家族の者はフリーパスで出来るわけです。
だから、
そこの辺は、ビビりながらね、
やっていました。
それこそ、訪問看護の大村さんに、
教えてもらいながら、やっていました。
でも、やっぱ、やりきれんですよ。
やりきれんですけど、
だから、ふりまわすように、
真夜中でも、なんでも呼びよったですよ。
夜中でも来よっちゃったですから。
朝の3時でも、
そういう点では大変だし、
そういういい人に私たち家族が恵まれた、
ということには、感謝しております。
はい、ありがとうございました。
はい、それでは一応、5分ぐらい前ですけれど、
講演は終わりたいと思います。
なんか、機会がありましたら、
こういう講演はいいかなと思っています。
で、
今日、本当、寒い中で、
しかも駐車場が少ないという中で、
早くからガードを張りまして、
遠くから空いちょったやんと(笑)
すみませんが、
まだ、雨は降っておりませんので、
寒いですけど、気をつけて帰って頂けたらと、
思います。
で、
今日来られた時に、アンケート用紙を、
こんな小さな研修会で、
アンケートかいと思ってでしょうけれど、
今後、何か参考になって頂けたら、
いいな、と思いますので、
記入をお願いしたいということです。
それと、
今、服部さんがしゃべられたことがですね、
実はレジメと別にいただいています。
しゃべられ口調で書いておられるので、
わかりやすいとは、思います。
たくさんコピーしてはいないのですが、
何部か用意していますので、
帰る際に声をかけて下さい。
足りなければ、またあとでコピーをして、
お渡しが出来ると思いますので、
今日は本当、ありがとうございました。
ありがとうございました。(拍手)
(講演質疑、32分終了)
【どんな方が参加されたの?】
一般の地域住民(10名)
医療/介護専門職(18名)
その他(2名)
【参加者のお住まいは?】
西岐波(13名)
東岐波(8名)
厚南(1名)
山口市(2名)
その他(6名)
【参加者の年齢は?】
80~90歳代(1名)
60~70歳代(7名)
40~50歳代(17名)
20~30歳代(5名)
【参加の動機は?】
テーマに興味があったので(11名 )
知人に誘われたので(11名 )
その他(8名)