FMきらら出演!

講演の書き起こし

  • 講演  [1]よろしくお願いします ~[43]優れもの

出演録書き起こし

[1]よろしくお願いいたします。

家って、ええちゃね。

この番組は山口県の、
在宅医療提供体制構築事業の委託を受け、
宇部協立病院の提供でお届けします。

この番組では、
リスナーの皆様に、
在宅医療について、
知って頂く番組です。

介護、高齢者医療という言葉と、
同じように、
誰もが在宅医療という言葉を、
耳にしたことがあると思います。

在宅医療をご利用されている、
患者さん、家族、現場で、
患者さんに接している看護師さん、

お医者さんなどに、普段の様子を、
中心にお話していただきます。

どんな生活を、
送られているんでしょうか?

もし、リスナーさんの中にも、
医療、介護について不安に思っている方が、
いらっしゃいましたら、
メール、FAXでも質問を可能な限り、
受付ます。

もし、こちらでわからなければ、
持帰って先生方に聞いてみますので、
是非、お送りください。

メールは、
fm@kirara804.com

FAX番号は0836-35-1651

おはがきは、郵便番号755-0029
宇部市新天町1-2-36 FMきらら、まで
お願いします。

そして番組では、
毎月第2、第4木曜日にこの番組、
お送りしておりますけれど、
毎回違ったゲストの方、在宅医療を、
経験された方、
お越し頂いとりますが、
毎回、毎回、明るい方がいらっしゃて、
私も、助かっております。

お話が、お話だけにね、
ちょっと、暗くなったり、
悲しくなったり、するかなと、
思いきや、楽しくお話をされていまして、
前回来られた方はですね、
主人には悪いですけれど、
ちょっと、ホットしています。

話がありまして、
ちょっと私も不謹慎ながら、
笑ってしまったことがありました。

そして、
今日もまた、初めての方、
お越しいただいています。

服部誠さん、

はい

こんにちは、

こんにちは、

そして奥さまの、

服部典子です。
よろしくお願いいたします。

よろしくお願いいたします。

 

[2]12回目のお見合い

まず、服部ご夫妻は、
どういう方かな、ていうことで、
よく、プロフィールと言いますが、

元々宇部でお生まれになって、?

生まれは、
私は島根で生まれて、
3ヶ月ぐらいで、
宇部に移りました。

奥さまは、?

ずっと宇部です。

ご結婚の経緯というのが、
面白いというか・・・?

1学年違いで、
幼稚園から、高校まで、
一緒でした。

見合いです。

12回目です。

どちらが・・・?

私が、12回目のお見合いです。(笑)

そうですか、
何かピピッときました?

んー かな?

 

[3]運命的結婚?

じゃないとしません。

結婚しません。

やさしそうなご主人でいらっしゃる。

奥さま、どこがお気に入りになったんですか。

まあ、その時、直感的に、
まあ、いいかなと(笑)

帰って持ち上げておかないと、
ケンカになるんで、
持ち上げておかないと、

ずっと、高校まで、
1学年違うからと・・・
ご存知なくて、

おそらく、見てはいると、
思うんです。

家内は背が低かったので、
一番前に、
たとえば、朝礼とかでも、
一番前だったということなので、
必ずどっかでは、
会っているんじゃないかと、
思うんですけど、

それがわかった時、
えーて、

思いましたけど

運命的なご結婚だったんでしょうね

運命的・・・そうでしょうね。

[4]定年後福祉の世界に

服部さんは、お仕事は?

元々は?

元々は、転勤族で、
損害保険の仕事だったんですけど、
東京、名古屋、大阪、広島と、
転々としてまして、
あと、こちらに戻って来てからは、
特別養護老人ホームの、
事務ですけれど、
5年間勤務してましたね。

こちらに戻ってきた理由っていうのは?

種々の理由がありますけど、
理由の一つには、
父の脳梗塞の症状を呈して、
子供たちも都会よりは田舎が好き
ということで、
私自身もいい時期かなと、
思ったんで、20年という区切りで、
戻ってきたと。
いうことですかね。

医療とか、福祉の関係は、
全く素人だったんですかね。

素人だったんですね。

あのー僕自身が、
身障だった関係でですね、
二十歳のころも、55歳になったら、
戻ろうかなと、

その頃定年が、
55だったんで、
戻って福祉の世界に入ろうかな、
と思ってたんですけど、
40過ぎで、ちょっと早めに、
戻ってきたと。

[5]在宅医療の知識はなかった?

じゃ
在宅医療とか、介護というのは、
ある程度の知識は・・・?

なかったですね。

なかったんですか?

事務系だったから・・・

こっち戻って来て、
社会福祉法人の事務やってた時には、
制度とか、学ばしてもらうのはありましたけど、

それまでは、一切わかりません。

そして、現在は、
途中ちょっと体調壊した関係も、
あるんですけれど、
2010年ぐらいから、
個人の経験資源をベースにした、
インターネット関連事業をしてます。

個人宅でですね。

去年の6月から、
宇部市の高齢者福祉計画審議委員を、
やったり、

それは何ですか?
難しそうですね。

宇部市が福祉の計画を立てる会がありまして、
そこに市民の応募とかあって、
いろんないきさつがあって、
6月からやってます。

[6]空き家の息子

それと、もうひとつは、
昨年の12月から、
社会福祉法人の事務のコンサル的なことを、
少しやっています。

以前やられていた仕事が、
役に立っていますね。

あとあのー、
空き家の息子という、

はっ?

何でしょうね?

これはあのー、

何Pか見せていただいたんですけど

変わった名前で、
面白いという人が、
何人かおってんですけど、

2008年に父が亡くなって、
2012年に母が亡くなって、
私たちは二俣瀬に居を構えてたんですけど
実家が開、常盤公園の、
湖の近くですけど、
そこに実家があって、

2人とも亡くなったので、
空き家になったわけですね


そこで、いろいろな
自分たちの持っている知識とか、
ノウハウとか、をホームページ上に掲載して、
みなさんと価値の交換みたいなことを、
できればいいね

タイトルも何にしようかな、と、
思ったんですけれど、
そのまんまですね、
空き家になったところの、
息子です、というところで(笑)、

息子って(笑)

これは面白いですね。

[7]事業

不思議な名前です。

事業をやっているわけでは、
ないのですか?

事業をやっています。

基本的には、
父や母に対していろんなことを、
やっていたんですね。

ビデオをダビングして、
見せてやったりとか。

パソコンの操作を、
見せてやったりとか。

いろんなことを、
やってたんですけど、

それらのことを、
少しずつホームページ上に、
出して、それも近隣の、
人だけじゃなくて、
遠隔地の人?

にも、そういうのを、
提供したりしています。

たとえば、
紙のテープで作るかご作りとか、
クラフトバンドっていうんですが、

そういうのも、
今、小羽山地区とか、
家内がやり取りさせていただいているんで、
その作り方をDVDにしたりとか、
材料を売ったりとか、
ということを、地元でもしてるんですけど、
全国的にやっても面白いかな?
と思って、インターネットを使って、
インターネットの広告をやっているんで、
全国にやったら、
北海道から、鹿児島までアクセスがあって

アクセスがあるんですか

お買い求めになられる方に、
お送りしたりとか、

と、いうこともしています。

 

[8]パンが好き

へぇー

ワクワクキット教室とか、
パッチワーク教室、
メロンパン教室ってのもありますね

メロンパンに特化しているんですか。

パンの中で、
一番メロンパンが、
好きなんですけど、

そうなんですか

これ教室はどなたが、
やってらっしゃるのですか

はい


奥さまがやってらっしゃる

料理が得意なんですか

料理は得意じゃないですけれど、
パンが大好きなんです。

3食パンでもいいんです。

ご主人は?

私は3食パンはあれなんで、
朝は2人とも、違う食事を、
食べてますね。

私は和食で

仲が悪いわけではないですね

仲はいいです(笑)

 

 

[9]一閑張り

はっきり言えるところがいいですね。

一閑張り?というのは・・・

これはですね。

あのー、歴史が古いんですけど、
飛来一閑という、
中国におられた方が、
ずいぶん昔、何百年の昔に、
こっちに来られて、
日本に。

当時、千利休っておられましたね
歴史上の人物で、
そこで、千利休の茶道具とかを扱う、
十人の職の方、
たとえば茶器とか扱うことができる
千家十職というんですが、

千家十職というのは、
千家の家に、
十の職の人が集まる
と書くんですが、

その中のひとつなんです。

一閑張りといって、
柿渋・・・
和紙を張って、柿渋を塗ってゆくもんなんです。

と、いうことで、画像みられたら、
わかると思うんですが、

空き家の息子と検索いただいたら、
わかると思います。

空き家の息子で調べていただく、
と、いいわけですね。

 

[10]父は大工

時々、展示とかやってますね。

ファンの方おられて、

好きなんですか

私は好きです。
教えるのは家内が・・・

奥さん何でもできるんですね。

広ーく、浅く

かごも出来るんでしょ

はい

器用な奥さまで、
よかったですね

僕は不器用ですけど

大工の息子です。

父は大工だったんですね。

じゃ、器用じゃないですか

いや、器用な大工の息子は、
不器用なんですね

(笑)

お父様が大工さんだったんです。

継げ、とか言われんかったですか。

言われんかったですね。

 

[11]父のこと

言われんかったけれど、
跡は継げとは言われんかったですけど、
住んではいます。

実家にお住まいなんですか?

二俣瀬と、
行ったり来たりしています。

お父様が、お亡くなりになったのは、
何時のことですか?

2008年12月です。

7年前?

ご病気で?

基本的には老衰に、
近いかもしれんのですけど、

脳梗塞の症状を、
呈してて、
それは今から15年ぐらい前だったんですけど、

それから体が不自由になって、
ちょっと重たくなったんで、
お医者さんから身障の認定を受けて、
それがOK許可が出るくらいに、
重たくなって、
最後は、要介護5がでるくらいに、
ほとんど動けない状態になったんですけれど、

あのー、
そういうことで、最期
1ヶ月ぐらいから、状態が、
悪くなって最期迎えた、
感じになりましたかね。

 

[12]段差

その時はこちらに、
いらっしゃったんですよね。

私?

私はいましたし、
しょっちゅう来ていました。

ちょうど2008年ですからね。

お父様も在宅で?

在宅です。

父はですね、あのー、
自分で作った家なんで、
もうあのー、家をいじることに、
ものすごい怒るわけです。

(笑)

介護状態になって、
歩行器使う状態になったりして、
ケアマネの方からもご提案いただいて、
歩行器使うんですけど、

歩行器使うと段差がね、
ありますし、

ホント、ありますね

段差を直していただこうと思って、
絶対いやだと言って、
るんですけど、

無視して僕が勝手に、
ケアマネの人と、
福祉器具業者の方と、
話して、段差を直すよう、
お願いしたんです。

 

[13]おれに聞け

さあ

お父様の目の前で、

ええ

いや、見えない所で

実際に業者の方が、
寸法を図りだしたわけです。

いろんなとこで。

何するんだ!

と、いうわけです。

いや、ここを図ろうと思って、
図って何するんだ、

自分が、
寸法は頭に入っているというわけです。

自分で作った家だから

寸法がききたかったら、
おれに聞け

(笑)

ところで何をするんだ

段差をなくす・・

そんなこと絶対にすんなー

 

[14]ふにゃふにゃです

でも、息子さんが・・・

関係ない、おれの家だー

と、いうことで、
出来ませんでしたね。

するなとは、
自分でやりたいんでしょうね。

それでも、
歩行器、度やって動かすんだよ
って言ったら、

意地のように、
歩行器を浮かしたりしてですね
不自由な体を使って、

自分が家に合わせる
ということですね。

はーやっぱ職人気質何ですかね。

その息子は、
全くその気質を受け継いでいない(笑)

 

えー結構柔らかい感じですか?
服部さんは
 

私自身ですか?
 

私はふにゃふにゃです。(笑)

 

[15]手が勝手に動いて

よかったですね。

はい

おかげで

お父様最後はやんわりと?

じゃないんですよね

右手が勝手に、
なんていうんですかね
動くような状態になって

その時はいろんな状態で、
自動のベッドで

あるとき、
手が勝手に動いて、
朝起きてみたら、
手が血だらけになっていた

勝手に自分の意思とは、
関係なく動き出したんです。

ケアマネの方とか、
みなさんにお願いして、
訪問看護をお願いして、
入ってもらうようにして、

いろんな準備して、
さあ今日からスタートという日が、
ちょうど亡くなった日になりましたね

 

[16]介護がはじまった時

医療的な・・・、
在宅医療というのは・・・

もちろん先生には、
来てもらっていました。

数年前から・・・

3年から4年前には、
在宅に来てもらっていたと、
思います。

ても、
それで特段集中治療的なことが必要・・・

そんなことはなくて、
結構、淡々と暮らしていたんですが、
最期の1ヶ月というのは、
手が意思とは関係なく、
動いたりとか、
いろんなことが、
ありましたね。

で、

お母様の話が中心ですけれど、
じゃ、1曲、

最初に聞いていただきましょう。

リクエストいただきました、

松下奈緒、
エカテリーナのための協奏曲

これはちょうど、
父と母の介護がはじまったのは、
2006年から2012年なんですけど、
2006年当時、
たまたま東京に行くことがあって、
家内が行きたいといった、
展示会があったんてすよ
モスクワのエルミタージュ展ですかね

その時に、
カセット、ヘッドホンで聞くような、
解説がありますよね

それききながら、
そのバックにすごいいい曲が流れてて、
ちょっと涙ぐむような、
解説もすばらしかったんです。

その時流れた曲がどうしても、
欲しくて博物館終わった、
売店みたいなとこで、
曲を探したんです。

今はもう有名ですけど、
松下奈緒さんのファーストアルバムだったんですよ。

それがバックミュージックで、
かかってたんです。

いい曲だったんで、
われわれの介護がはじまった、
スタートの曲ということで、
選曲させていただきました。

じゃ、どうぞ。

 

 

[17]母の希望

さて、今日の「家ってええちゃね」
服部さんご夫妻お招きしております。

お父様も介護されてということで、
お母様がお亡くなりになったのが?

2012年の6月です。

と、いうことは、
もう少しで3年?

昨年3回忌はしました。

お母様は何か症状が、
おありだったんですか?

はい

あのー
母はパーキンソン病で、
だんだんちょっと体の自由がきかなくなって、
ということで、

最期、

のどかに暮らしていたんですけど、
あるとき3月ぐらいに、
風邪を引きまして、
風邪を引いて・・・
それでも母の意向で、
入院はしたくない・・・
無用な医療行為はしたくない、
という希望があったので・・・

 

[18]胃瘻

在宅でいろいろやってたんですけど、
やりきれなくなって、
一旦、冒頭にもお話のあった、
宇部協立病院さんに、
入院させていただいたんです。

入院した後に、
1ヶ月くらいたって、
中々症状が安定はしたけれど、
それ以上にならないということで、
胃瘻するかどうか、
胃に管を通すかどうかという、
決断をすることがありまして、
その時に母がもともと12歳上の、
姉がいたんですが、
同じようにパーキンソンで、
胃瘻とかして15年くらい闘病生活の上で、
亡くなったんですけれど、

自分はもうそういう処置は、
せんでくれということで、

ずいぶん前から言われていたので、
せずに戻って1ヶ月と言われながら、
1ヶ月半、いろんな方に、
お世話になりながら、
最期の日を迎えたという、
形をとっています。

胃瘻することによって、
お姉さまは延命にはなってた?

なってたんだと、
思いますけど・・・

 

[19]リビングウィル

苦しいんですか

うーん、
苦しいように見えたんじゃないかな

私もよく母を連れて、
福岡なんですけど、
よくお見舞いに行ってたんですけど、
そういう処置そのものが、
嫌だと、思っていたんですよ

ちょうど私が15年前、
こっちに帰って来て、
特養に5年間居る時に、
あるとき家に、ふらったいったら、
仏壇に連れていかれて、
引き出しを開けてくれと言われて、
引き出しを開けたら、

そこに、
無用な処置はせんでくれとか、
過剰な治療をせんでくれ、というメモが、
出てきたんです。

これはいったい何?
といったら、

そういう思いがある、

テレビか何かで、
見たんじゃないか

今でいう生前の意思
リビングウィルとか言うんですかね
そういうことを、
当時私、そういう世界に居ながら、
意味がわからんで、
母の意向を受けた上で
施設の隣に隣接している病院の院長に、
お聞きしたことがあるんです。

 

[20]家に帰る

個人の意見を尊重することだよ。

その時お母様は元気?

元気でした。

元気でしたけど、
12歳上の姉の見舞いに、
頻繁に行ってましたね。

その時にそういう思いが、
強くなっていたんかな、と。

お姉さまが、ひょっとしたら、
お母様に何か言っていたのかも、
しれないですね?

そこは、ちょっと私も、
わかりません。

じゃー、それをしないで、
家に帰りたいということですか

はい

その時はどうですか、
息子さんとして、
家で、というのは?

私はしょっちゅう母から、
そういう話を聞かされていたんで、
その意思の紙を見せられた後、
ちゅうちょなくそれを貫かんなと、
思っていたんですけど、
いざ、帰るとなるとですね、
やっぱり、宇部協立病院さんの方でも、
それこそ、そこの担当の先生から、
副院長の立石先生をはじめとして、
帰って来て対応する医師は、
ひらき内科てしたが、
訪問看護の白鳥さんとか、
当時常盤台病院、
いや宇部西になっていたかな?
そこのヘルパーさんとか、
いろんな方が全部、
もちろん福祉器具の業者さんとか、
全部一同に集まって、
10人ぐらいおっちゃたと思いますけど、

 

 

[21]理解しているのだろうか

チームで?

そこの会議みたいな編成で。

帰るということで、
本当にいいのだろうか

ということを、
私が理解しているのだろうか、
ということを

母の強い意向があったんで、
帰る形にしたんです。

ある程度
問診じゃないけど、
どういう気持ちで
っていう
お話を聞かれるんですか

そうですね

安易な気持ちで帰るんじゃないよね
という確認だと思うんです。

そういうときには、
こういうことがありますよ
こういうことがありますよ

そういうことがあるのは、
聞かされるわけです

胃瘻しないとなると
寿命がある程度限られてきますよ

とか、ね
言われるのは、ありましたね。

 

 

[22]思い出の映像

最期、1ヶ月と言われる中を、
母が望む形になればということで、
いろんな事やりました。

その1ヶ月というのは、
お母様はご存知だったのですか?

いや、言いませんでした。

薄々感じていたんじゃないか
と思いますね。

母はその昔の家族のビデオとか、
写真とか、
元々引揚者で、
新義州という所から、
引き揚げたんで、その時の、
当時の写真とか、
というのをテレビとか、
パソコンも数台置いてですね、
24時間それが映像が流れているように、
部屋をして、
それと、孫が生まれて、
半月ぐらいだったので、

ひ孫ですね、母から見たら、
壁いっぱいに孫の写真張ったりとかですね、

なんか楽しめたり、
昔のことを思い出させるようなものを、
用意して

夜中にふっと目が覚めて、
僕も時々見てたんですけど、
目がパチっと開いてですね。

ずっと部屋の景色を、
眺めてる、
映像が常に流れてますから

 

 

[23]思い出が駆け巡る

テレビもスライドショーにしたり、
テレビ見ない時は
いろんな事やってたんで、
常に思い出が駆け巡ってる状態に、

ひなが一日ベッドでずっと、
ご覧になってた?

はい

寝てることも多かったですし、
母は昔の音楽とか好きで
なんか急に思い立ったようにですね

昔の漫画の主題歌をききたいとか
風のフジ丸とか、

風のフジ丸少年忍者

そ、そうです。

歌えますけどね

それはいいんですけど

風のフジ丸♪少年忍者♪

藤沢製薬というの、
最期言いよったですね
その会社どうなったか知らんのですけど

それをICレコーダーにとって、
you tube でいっぱいやっているんですよね

それをCDにしてぐるぐる回したり、
「えりちえみ」を聞かしてくれ、
といったら、
最近はyou tubeで何でもあって、
全部の曲があるんですよね

 

 

[24]音を切り刻む

それを全部録って、
それを切り刻んで、
音を切り刻むっていうんですかね

パソコン上で、ダラーととった音を、
切り刻んで、その音だけにして、
今そういうサービスもしているんです。

そういうことをやって、
それをCDにかけて、
ずっと流してやったりとか、
ということを、
よくやってましたね。

息子さんとしては、
喜ぶこと、を何でもしてあげたい
ってことですか

そうですね
そういうふうに、
思っていましたね

私がちょっと、
小さい時ケガしたってことも、
あるんでしょうけど、

ツーカーのような、
母と息子だったんで。

今日は奥さまとお母様が、
ご主人と、
絆がつよい、というか、
ご自分でもそう思うと、
思いますか

 

 

 

[25]普通の日常

家内や大阪に、
弟がいるんですけど、

「何人たりとも入り込めん世界があるよね」

そんなつもりはないんですけど、
母が次に何しようかという行動が、
なんとなくわかって、
それをしてやったりとか、

と、いうことは、
よくありましたね。

在宅医療とかいうと、
暗いイメージがあるとか、
言う人おってんですけど、


そんなことないんです。


そういう状態の時でも、
結構笑ったりとか、
しながら暮らしてましたね。

普通の日常?

そう、そうです。


ご自分で何かできない、というのを、
補ってあげる。

そうです。

 

 

[26]今村くらしの相談室

あのー
在宅始める前っていうのは、
準備するものってあるんですか?

用意しなけりゃいけないものとか?

それは、
基本的に、こころの準備以外、
ないでしょうね。

他は全部みなさんが、
あの、ケアマネ―ジャーの方、
みなさんが、

中心としたいろんな方と、
お話することで、
いろんなことが、
出来るんじゃないですかね。

在宅医療がすごく、
だんだん注目されてきて、
ここ、確か宇部市を中心に、
ご近所福祉という、
集まりというか、
組織がありますね。

委託事業にして、
その中でも最近あのー
ご近所福祉の活動は、
貴い活動だなあと、
いつも思うんですけど、

その中でも、
看護師さんがね、
元、病院を取りまとめていたような、
看護師さんが、
お二人そういう活動をはじめられて、
居宅支援事業もされて、
在宅医療に密接な状態で、
今村くらしの相談室という所で、
野村さんと来嶋さんという、
やられてますけど・・・

[27]家族がやること?

だんだん、
在宅に近い、市民の目で見た
在宅医療が実現しつつあるのかな、と、
思いますね。

何をしていいかわからない

何からスタートしていいかわからない

ということで、
ドギマギしていた、
力が入りすぎて、
ということもおありですけど、

ある程度知識がおありだったから、

知識があったから、
5年間勤めた時に、
その時にいろんな方に、
学ばしてもらったことが、
ベースにはなってると思います。

確かに

訪問看護師さんに
来てもらっていたんですか?

訪問看護師さんと、
訪問介護士さんに・・・ですね


ヘルパーさんとかは?

ヘルパーさんはもちろん来て、

ご家族が毎日やることは、
どういうことだったんですか?

 

 

 

[28]専念する

あのですね

そういうこと聞かれること、
よくあるんですけど、

基本的に、
母の介護とか看護、については、
全部向こうから歩いてくる仕組みに、
さしてもらってた、と。

ヘルパーさんが、
ヘルパーさんというのは、
訪問される方なんですけど、
家に居ながらにして、
お医者さんがやってくる

ヘルパーさんがやってくる

看護師さんがやってくる

食事もセブンイレブンの、
セブンミールというの、
使ってたんですけど、

まだ、その頃は有名じゃなかったんですけど、
食事もやってくる

何でもかんでもやってくる

サービスが歩いてくるという
基本にしていたので、

サービスメニューを考えることだけ、
に専念してましたね。

 

[29]吸痰

あのー
痰とか、やってらっしゃたって?

そうですね
吸痰は最期の2週間ぐらいだったと、
思うんですけれど、

痰は看護師さんの方はやれるんですが、
介護士さんは一定の条件の下だったらやれる

家族はフリーパスでやれるので、
教えてもらいながら、
やってたんですけど、
やっぱりちょっとね
素人じゃやりきれん所があって、

難しいんですか?

難しいです、
家内は上手かったんですけれど、
まあほとんど、
今日この席に取次いでいただいた、
訪問看護の白鳥さんって、
おられるんですが、

大村さんという方が、
一生懸命やって頂いたんですが、
真夜中でも、
それこそ3時とか、
4時でも、
お呼びしていましたね

 

 

 

 

[30]夜中に呼び出し

電話をして来てもらえるんですか?

そうです。

この話で、
中々呼びにくい、とか

家内もそれは、
よく言ってたんですけど、
僕はそういうことは・・・

思いつつ、お願いしてましたね

それを受け入れてくれるんですか?

大村さんのお話だと、
それはもう当然ですから、
と言われるんですけど

やっぱりね
夜中に電話して、
本当にええんかいな?

と、思いながら、

 

4時でも、
3時でも、電話してました。

何時寝てらっしゃるんですかね。

それは、もう不思議なぐらい

車の中で聞いてらっしゃるんですが

今、寝てらっしゃるんじゃないかと(笑)

 

[31]すごい仕事

そりゃ、すごい仕事だと思います。

その訪問看護という、
体制があるからこそ、
おそらく在宅医療が出来ると思いますね。

奥さまは、
基本的にサポート?

ご主人のサポートということで?

ご主人、何か1時間おきに、
起きていらっしゃったとか

それは、
最期の2週間ぐらいですよ


すごいなー

やっぱ絆が、つないでいるんでしょう。

焼けたりしないですか?

ないですよ(笑)

お母様の最期は?

人が亡くなるときの、
最期は不思議なことがあって、

最期は本当に自然に息を引き取る感じ
だったんですけれど

[32]3日前

3日前に不思議な手紙が来たんですよ

京都から手紙が来て
母は6人兄弟で一番上に、
長男がいたんですけど、
長男とすごく仲がよかったんですよね

ところが、
その長男は新義州当時、
戦争に行って戦死したんですよね

すごく仲がいい
長男だったらしいんですけど、
写真も一緒に写っているのが
いっぱいあるんですけど、

その長男が戦死する時には、
母以外には全員枕元に立った
というぐらい
すごい強烈な亡くなり方だったのかもしれません。

その、私から見ると、
おじなんですけど、

京都から手紙がきまして、
米軍のある兵隊さんが、
沖縄戦で写真を持って帰っていたらしいんです。

歳とって本人に返したい
お話があって
そういうとりまとめをする、
京都の方が、
母が亡くなる3日前に
えんえんと手紙と写真をつけて、
送って来ちゃたんです。

[33]英霊

母に、それを、
読み聞かしたんです。

ただ、肩で呼吸してる
状態だったんで、

私が読んだら、
呼吸が乱れたりしました。


ですけど、
元気な時に、

沖縄で亡くなったとか
一切なかったんで、
ただ、南方で亡くなったという話

それも飛行機の操縦席の、
後ろ側で撃墜されたとか

離着陸のときに失敗したとか、

いろんな話があって、
はっきりしたことが
よくわからんかった
んです。

でも結局、
いろいろ調べたんですけど、
3日間

これは絶対に返事せんにゃいかん、
と、思って
写真照合したりしたんですが、
わからんまんまに、

私が思ったのは、
戦死した方は、確か
英霊といわれるそうなんです

英霊として迎えに来たんじゃないかな、と、
瞬間的に思いました。

手紙を読んだ瞬間に・・・

 

[34]不思議

それで母に聞かせたりして、
その返事を書いて、
家内と「こういう形で返事をするよ」と、

ちょうど白鳥(訪問看護)さんが、
6月2日に亡くなったんですが、
頻繁に来られていたんですが、
2時間おきとかね

 

朝10時に来られて
12時に来られて、
12時から13時の間に、
家内と「こういう文章で返事しようね」と
返事してメールで返信した
その時にすぐ上がって、
13時にちょうど亡くなった、

不思議な感じでしたね

当日家内はたいてい、
夕方ぐらいになって、
毎日来てたんですけど、
二俣瀬から、
いろんな用事すまして、

その日は不思議に、
なぜか朝から来とるんですよ

家のまわりを、ぐるぐる動いていたんです。

[35]不思議な才能

何か胸騒ぎがあったんですかね?

ですかね?

父が生きてた時も、
頑固者の父でどうにもならない、
自分が脳梗塞で入院しても、

半年ぐらいかかりますね

と、言われていたのに、
強引に勝手に退院日を決めて、
でてくるような、
そりゃもう、すごい父だったんですけど、
その父がどーんと落ちて、
動けん時に、ふっと
示し合わしたかのように、
たまたま通りがかって、来たり、
実家に帰るとか、

助けてくれるとか

不思議な才能がある、
家内なんですけど、


メロンパン以外でも?(笑)


いい方と結婚されましたね

父とは気が合うというか、

丁度いいカップルでしたね

言いたい放題の義理の父と娘
でしたね。

 

 

[36]クラシック?

お母様が好きだった

ホフマンの舟歌


です。

 

さて、
お送りしています「家ってええちゃね」
この番組は、
山口県在宅医療提供体制構築事業の、
委託を受け、宇部協立病院の提供で、
お届けしております。

もし聞いてらっしゃる方々や、
医療・介護について、
不安に思う方がいらっしゃいましたら、
メール・ファックスで、
質問を受け付けておりますので、
どうぞお送りいただきたいと、
思います。


お母様、
クラシックがお好きだったんですか?

父が亡くなった後に、
急にクラシックが好き?
っていう話になって、
それまで聞いた記憶が
なかったんですけど、

大工さんで、
頑固者で、
父は浪花節が好きでしたから(笑)

全く趣味が違いますね(笑)

 

[37]父は恋愛、母は見合?

ドラマに出てきそうなお父さんなんで、
お二人仲よかったんですか?

仲がいいというか、
最期の頃はあんパンの取り合い、
とかもしてましたね。


ははは(笑)


それぞれが、好きなことを、
しようとしてたんでしょうね

父は親戚に言ったら笑われたんですけど、

恋愛で結婚したと、
よく言ってたんですよ

ところが

母は見合いで結婚したと、
よく言ってたんで

ははは(笑)


意味がわからん夫婦でしたね

服部さんが
まだちっちゃい時
お母さんとの思い出とかは
お母様を象徴するような、
思い出とかはおありですか?

 

 

[38]動物園

母は象徴する・・・

よく動物園に、
連れて行ってもらってたんです。

宇部で青少年会館?って、
ありますよね

確か、動物園があって、
当時上町ってとこに、
住んでまして、
どっかでコロッケを買って、
そのコロッケ食べながら、
カバとか見てた記憶が、
鮮明に残っています。

優しいお母様?

はい

今、
お兄様と一緒にいらっしゃるかも、
しれませんね。

そうですね。

ここにおるかも、
しれませんね


ははは(笑)

 

[39]こういうサービスを受けたい!

在宅を経験されて、
いかがだったですか?

はい
やっぱり選択というか

母の意向で、
在宅をやったんですけど、
「いいな」と思ったのは、
要介護5に2人ともなったんですが、
要介護5だと、
35万ぐらいの持ち点みたいのが、
あるんですね。


その中で、
どういうサービスを、
どういうふうに使うか、
というのは、

計算はもちろん
ケアーマネージャーの方が、
やって頂けるんですけど、


こういうのをやりたい!

ああいうのをやりたい!

こういうサービスを受けたい!

宇部市のホームページにも、
載っていますけど・・・

 

 

[40]持ち点制?

宇部市のホームページに、
載っていますけど、
こういうメニューがありますよ

要介護1~5の方は
このくらい使えますよ

そのうちのこれを3日つかいたい

これを2日使いたい、とか


いうのは、自由に選択出来るんです。


持ち点制みたいなものですか?

持ち点制というんですかね

要介護5だと35万ぐらい使えるんですね

その1割が個人負担になるんです。

そういう中では、使うサービスを、
たとえば、
訪問介護を2日にしてくれ、とか
訪問看護を3日にしてくれとか、

というのは自由に決められるわけですね

 

 

[41]バイオトイレ

そこが、
在宅介護のメリットですかね。

それとあとは、
一番良く言われるのは、

トイレが大変なのは、
ポータプルトイレじゃなくて、
バイオトイレというのを、
使っていたんです。

優れものがあるそうですね

臭いもなくて、
介護の仕事が根底から、
変わるんじゃないかと、
僕思うんですけど、

汚物とか、
汚い話ですけど、
便とか、
尿とかでも、
全部、気化するんです。

おがくずみたいのがあって・・・

 

 

 

 

[42]自慢する

それに、攪拌されると、
気化する。

amazonとかでもありますけど、
ケアマネの方とか、
福祉器具業者と、
よく相談されたがいいと思いますけど、

それを入れていました、
家はね。

だから、
部屋が全然臭わない。

なんか、どんどん進んでくれると、
いいですね

ご本人も、
ご家族も
精神的にもすごい
楽になる

あのー
ポータプルトイレ入れると、
父はあまり気にせん
タイプだったんですけれど、
母は恥ずかしがってたんですね

それが、
むしろ自慢するようになったから

一番大切なのは、
プライドだと思うんですが、
そのトイレを自慢するというような、
孫とかそこでしてました

ばぁちゃんさしてーとか、
ははは(笑)

 

 

[43]優れもの

臭わんやろー
って、
私が使ってるトイレ。

すごい優れものでしたね

あんまり使っとって人、
少ないみたいなんですけど

 

さっそろそろあのー、
最後の曲流れはじめました。

竹内まりあ、で、いのちの詩。

これは奥さまがお好きな歌で、


今日もすごい明るく楽しく、
聞かせていただきました。

どうもありがとうございました。

ありがとうございました。

服部ご夫妻でした。

ありがとうございました。


家ってええちゃね

この番組は山口県の、
在宅医療提供体制構築事業の委託を受け、
宇部協立病院の提供でお届けしました。


それではまた、
来月第2木曜日、
午後2時からおあいしましょう。

さようなら